翌朝7時半頃に再び目が覚める。先ほどのおばあさんから「朝方は申し訳なかった。」との一言があり、ほっとする。これまでにこの船で同様なことが何度かあったのだが、決して謝られたことなどなく、人々の常識のなさに嘆いていたものなのだが、この人たちはそうではなかったのである。とりあえず昨晩の第一印象は間違っていなかったようである。
昨日までの悪天とはうって変わり、だんだんと晴れ間が広がってくる。波も穏やかである。これなら離島行きの高速船も確実に出ることであろう。
結局石垣到着は35分遅れの10時50分。離島桟橋から11時に出る船に乗れるかどうかはかなり怪しい。下船口で同じように急いでいるらしい御夫婦と知り合う。お二人も11時に別の島へ向かう船に乗るということなので、いっしょにタクシーを拾うことにする。二人は船会社へ電話して船に乗るからと頼んだのだが、こちらは大丈夫だろうと高をくくり、そのまま離島桟橋へと向かう。着いたのは11時3分前。
ところが安栄観光はすでに満席。波照間海運のほうはこの時間になっても船が戻ってきていないとのことで、すでに欠航が決まっている。まさかこんな好天で船が欠航するとは思ってもいなかった。これならいつもどおり歩いてきても良かったのである。タクシー代を割り勘に出来たのがせめてもの救いである。そのまま竹富島へ渡ろうかとも思ったが、この辺で時間を潰すことにする。その時間4時間半。とりあえず15時半の船は出るとのことなので、乗船券はあらかじめ買っておく。それと同時に宿へも到着時間を連絡する。またすでに島にいる仲間へもメールを送る。結局波照間海運の船は11時3分に帰港したが、それでも2便は欠航である。この調子では島から出る人たちも大変であろう。
離島桟橋隣の730交差点に位置するホテルの1階にある「ランチビュッフェ980円」の文字が目に入る。以前から気にかかっていたこともあり、ここなら時間が潰せるだろうと思い、とりあえず入ることにする。内容についてはあえて触れない。せめて温かいものは温かくという原則ぐらいは守っていただきたいものである。ただ空いているうえに珈琲と紅茶も飲み放題なので、とりあえず時間は潰しやすい。2時のビュッフェ終了までここで粘る。
三が日のATM休止に備え、郵便局でお金を下ろしたうえで、街を歩く。ふと立ち寄ったお酒の量販店で「これから波照間へ行かれるのですか」と声を掛けられる。こんなところで誰かと思って訝しく思いながら見ると、なんと一昨年と3年前に「激写カメラマン」がニシハマで「激写」した女の子である。残念ながら今年は他の島へ行くらしい。実は6月に大阪で行われたある唄者のライブでわれわれを見かけたらしい。それほどまでに沖縄関係の人の輪は狭いのである。

15時半乗船。大晦日の便は買出し客や帰省の客で混んでいるかと思ったが、意外にもそれほどではない。この時期としては珍しくあまり揺れない。とはいっても外洋に出ると、船に弱い人ならいやな気分になるかもしれないぐらいの小さな揺れはある。ほぼ定刻の16時半頃に到着。早速迎えの車に乗り込み、一路宿へと向かう。
すでに宿には見慣れた顔が集まっている。もう5時近いこともあり、みんなそろって夕食前に夕日を見に出る。



昨年・一昨年とも悪天続きで、こんなきれいな夕日を見ることはできなかった。今回初めてこの島へ来た女性2人組みもいるのだが、本当に彼女らは幸運である。
定刻より少々遅れて夕食。とはいっても6時過ぎである。いつもの光景ではあるが、天気予報の時間になると、テレビの音量を一段上げて、みんな画面に釘付けになる。日の出の頃の天候はちょっと微妙なようである。ニュースでは沖縄、そして全国各地のあわただしい大晦日の映像が映し出されている。
食後は表に設けてあるゆんたく場でのんびりと。いつもどおりの光景である。みんなどんどん泡盛をあけていく。いつもの顔ぶれや夕日をいっしょに見に行った女性2人に加えて、さらに数名も加わっている。
例年なら9時ごろには「髭の唄者」がやってきて、居間で格闘技を見るのだが、今年は来る様子がない。そこで5人がさしずめ「人身御供」として「髭の唄者」の家へと赴く。残りの者も10時ごろになってそちらへと向かう。曙のつまらない試合も終わり、そろそろいい時間になってきたので、「宿で年越しそばが出ることになっているので」と断り、宿へと戻ることにする。怖いもの知らずの「髭の唄者」ではあるが、この宿のお母さんにだけは頭が上がらない。それを見越しての作戦である。そうしないといつまで引っ張られるかわからない。
沖縄そばを使った年越しそば。本当は沖縄では年越しそばの習慣はないのだが、わざわざ石垣から麺を取り寄せたうえで作ってくれたのである。本当にありがたい。ラジオからは除夜の鐘が聞こえてくる。2006年の幕開けである。