食事が終わって一段落してから、みんなで港まで見送りに行く。ほぼ定刻どおりに船が到着する。そういえば「嵐を呼ぶ男」もこの便で帰るのだが、不思議と今回は好天に恵まれた。ということは、本当の「嵐を呼ぶ男」は他にいるのか。そういえば今年はこの島に来ていないものが数名いる。うーん。ふと沖合いを見ると、ちょうどダイビングに出かけるところの仲間2人が手を振っている。この天気ではちょっと海に入るのは厳しいかもしれない。
あいかわらず港は島に来る人・島を離れる人の両方で賑わっている。みんなで郵便物を郵便局の車に積むのを手伝い、車へと戻る。島ではみんなこうやってお互いに手助けするのがごく自然の光景である。そうしなければかつて絶海の孤島だったこの島では生きていけなかったからである。
そういえば港の待合室内にある海畑(イーノー)が開店準備をしている様子がない。誰かの話によると、三が日中は休みを取るらしい。例年だと確実に店を開けているのだが。ということは、お昼は青空食堂ぐらいしかないことになる。今日はここのおそばを食べるつもりにしていたのだが。残念。
北浜(ニシハマ)へ向かう者たちと別れて、われわれはまた車で宿へと戻る。集落の中にある共同売店の一つが店を開けている。例年2日の午前中だけは店を開けるとのこと。そういえば郵便局も毎年2・3日は8時半から12時まで窓口を開けている。
時間があることもあり、空港へと向かう。空港で話を聞くと、昨年の11月以来搭乗率が大きく改善されたらしい。というのも、JAL・ANAとも予約してから発券するまでの期限を3日以内にしたため、予約を入れただけで搭乗しない、いわゆるNo-showが大幅に減ったためである。
この島に飛ぶ飛行機の時刻設定はなかなか微妙である。石垣で空席待ちなどをしていて、万が一乗れなかった場合に1便の船に乗れるかどうかはかなり微妙な時間であり、また島からの飛行機に関しても同じような時間である。というわけで、島に住む人たちにとっては飛行機を利用しにくい状況が続いていたのである。ところが11月から発券期限が設けられたため、予約をして空港に現れないNo-showが激減。そのため島住民の利用が容易になり、搭乗率が大きく改善されたというわけである。
島の人たちにとって飛行機の搭乗率の改善は真剣な問題である。路線の存亡がこの搭乗率にかかっているからである。赤字路線を廃止するなというと一括して住民エゴととられてしまいがちだが、必ずしもそうではない。本当に生活がかかっているのである。
船が内海を行く他の島々と違って、外海を行くこの島への航路は天候次第で激しく揺れることも多いうえ、ここにも書いたとおり、欠航することも多い。かつて石垣の病院へ定期診断に行こうとした妊婦さんが激しく揺れる船に乗り、流産してしまったこともあるそうである。あるいは激しい揺れに耐えられないお年寄りも多いことであろう。このようなことを考えると、容易に廃止にはできない。
以前から現場の人たちは航空券の購入期限の改善を会社に申し入れていたそうだが、ようやく今回それが実り、搭乗率の改善に役立ったというわけである。
さて、お昼近くになって昼食をとるために青空食堂へと移動。どうも天気のほうが思わしくない。みんなに電話を掛けてみたものの、圏外にいるためかつながらない。というわけで1人で食べることにする。いつもならここではタコライスを頼むのだが、今日は野菜そば。驚くほどの量で出てくるのである。そうこうしているうちに仲間の一人が合流。
食後は波照間に何回も来ていながらまだ行っていなかったペー浜を探す。それほど迷うこともなくペー浜へ到着。ここから引き返すのもばかばかしいので、このまま北浜へ向かうことにする。仲間の2人がそこで待っているはずである。ところが歩くごとに雲行きが怪しくなってくる。風も強い。長袖を着ずにはいられない。ようやく北浜にたどり着いたが、2人の姿はない。あまりの寒さに帰ってしまったのであろう。結局われわれも北浜にとどまることなく宿へと戻る。
宿へ戻ると、やはり2人は戻っていた。かなり長い間われわれを待っていてくれたらしい。表のテーブルを囲んで、ひたすらゆんたくが続く。
6時になって夕食が始まる。相変わらず手の込んだ地元の食材を生かした食事の数々が食卓に並ぶ。明日はほとんどの人が宿を離れるので、みんな真剣に天気予報に見入る。今日よりはかなり良くなるようである。風向きは北東、波の高さは2m。この時期にしては良いほうである。
再び表のテーブルを囲んでゆんたく。とりとめもない話を続けながら泡盛がすすんでいく。結局今夜も「髭の唄者」は来ない。やはり疲れているのであろう。