中澤裕子といえばひどいやつである。京都府福知山市出身であるにもかかわらず、デビュー当時は大阪出身であると偽っていたのである。そんなに福知山出身が恥ずかしいのか!まあ確かに田舎ではあるが。(笑)
また話が脱線してしまった。そういえばこのホテルに着いたばかりのとき、いきなりスタッフが「慎吾ママのおはロック」を歌いだしたのを思い出した。
昼間はホテルのカフェで働き、夜はレストランでドラムの演奏をしている50代の男性従業員がいるのだが、彼がわたしにいろいろな日本語を教えてくれと言ってきていた。わたしもそれに付き合ったのだが、なんでも彼は学校に行っていないらしく、「アラビア語も、フランス語もこのホテルで勉強したんだ。このホテルはわたしの学校だ。」というようなことをいっていた。彼はベルベル人であり、ふだんはアラビア語ではなくベルベル語を話すのである。
そういえばおとといのじゅうたん屋では二人の女性がじゅうたんを織っていたのだが、そのうちの一人はベルベル語とフランス語は話せるがアラビア語は話せないと言っていた。彼に日本語を教える代わりに、何杯ものコーヒーやミントティーをご馳走になる。
10時にマラケシュ行きの直通バスがあるとのことで、それに乗ることにする。70DH。本当ならワルザザートへいったん行き、そこからタフロウトかタルーダント行きの山越えのバスを探そうかと思っていたのだが、予定を変更する。
ワルザザートを抜けてしばらくすると、山越えの道が始まる。標高2000mを超える地点を抜けていくのだが、曲がりくねった道を走るため、吐く者もでてくる。その代わり車窓の風景は本当に雄大である。
下り坂に差し掛かったとき、突然車掌がバスを降りた。窓の外ではその車掌が一気に山を走り降りているのが見える。そのうちバスに先回りして、またバスに乗り込んでくる。道路は曲がりくねっているからこのようなことも可能なのである。何のために彼がこんなことをしたのかわからない。他の乗客も特に驚く様子はない。本当に謎である。
17時40分マラケシュに到着。かなり混んでいるようで、少々宿探しに苦労する。宿に荷物を置いてジャマ・エル・フナ広場に行くと、もう屋台や大道芸人たちでいっぱいになっている。
まず広場の周りには60ほどの屋台が並び、そのうち半分はオレンジジュースの屋台、残りはカセットテープやナッツ類の屋台である。その内側にはハリラというスープ・カタツムリ・生姜のよくきいた漢方風のお茶・羊のソーセージなど単品を扱う屋台があり、さらにその内側の屋台が多くの種類の料理を扱う屋台となっている。
正直言って、内側のなんでも扱う屋台では料理も冷めており、それほどおいしくもなく、また値段も高くぼることも多いので、お薦めしない。それゆえに客引きも激しく、地元客もあまり見かけないように思う。反対に単品を扱う屋台のほうがおいしいことが多いようである。そういう屋台は地元客も多く、あまり客引きもしていない。11時を過ぎてホテルに戻るが、まだ広場のほうからは大道芸の音が聞こえている。