多良間島などを横目に見ながら、9時ごろに石垣島の沖合いへと近づく。ところがこれからが意外と時間がかかる。というのも、島の北東側から西側へと回り、その後に南側にある港へと入るためである。15分遅れて10時30分に石垣港へ入港。離島桟橋までは歩いて15分ほどかかるうえに、目的の船が11時に出るため、かなり気ぜわしい。念のために船会社のほうへ電話して載る予定の船が運行するかどうかを確認する。
船を下りてひたすら離島桟橋へと急ぐ。乗船券を確保し一休み。桟橋近くにある写真屋さんへと向かい、お世話になった店長さんに挨拶しようとしたのだが、姿が見当たらない。仕方なく桟橋へと戻り、目的の船に乗る。
八重山のいろいろな島を横目に見ながら、ひたすら目的地の島へと向かう。もっと揺れることを予想していたが、意外に揺れは少ない。ほぼ定刻どおりに島へと到着。船からは観光客や島への帰省客などが次々と下船する。
宿泊予定の宿のご主人を探す。もう何度も泊まっていることもあって、お互いすぐに見つかる。宿へと向かい、懐かしい面々と再会。お昼時とあってそのまま食事ということに。他の面々も島内のあるところで食事をしているというので、そちらへと向かう。
目的の食堂へと到着。不思議なことに、先ほどまで曇り空だったのだが、私が着いた途端に雲の切れ間から太陽が。どうも私は天候だけには恵まれているらしい。みんなからもこの天候に歓声が上がる。食事を終え、みんなとともに浜へと移動。
島の中央から浜へ向かって下っていくと、目の前に一面の海が広がる。さらにそのまま下り続けていくと、一旦木々に視界を遮られる。さらにそのまま歩みを続けると急に視界が広がり、前を遮るものは何もなくなる。その前には絵に描いたようなソーダ色の海が広がっている。道なりに曲がるとその先には一面の砂浜が。
思えばこの海を見たいがためだけにこの島へ通い続けているようなものである。1999年のお盆に初めて八重山を旅した際にこの島へも訪れたのだが、そのときはまさかこんな最果ての地に何度も来ることになるとは思ってもいなかったのである。たまたまそのときに泊まったのは宿泊者同士の交流がほとんどない宿であり、しかもたった一泊だけであったため、それほど人々に強い印象が残らなかったためでもある。しかしそれでもその海の美しさだけは強く記憶に残っている。
浜に到着すると、見覚えのある顔がいる。そういえば去年の同じ時期に仲間の一人が「激写」していた女の子である。あまりの偶然にみんなびっくり。当の「激写」していた本人は次の日に島へ入るのだが、彼女は次の日に島を離れるらしい。残念。それにしても彼女をはじめ、何人もが海に入っている。とても年末とは思えない光景が目の前に広がっている。
一旦宿へと戻り、「あること」の準備に入る。「あること」とは明日島へと入る結婚予定のカップルを祝うための準備である。思えば昨年のこの時期も同じことを他のカップルのために行っていた。その二人はまさにこの宿で知り合い、それがきっかけで結ばれたのである。二年続きでこんなことに参加できるのはまさに何かの縁としか思えない。たくさんの飾り付けが流れ作業で手際よく出来上がっていく。
一旦抜け出し、港へと向かう。最終便で島へ入る同宿のものを迎えに行くためである。2年ぶりの再会になる彼を見つけ、車へと案内する。
そうこうしているうちに夕食時となる。この宿では恒例となっている、宿のお母さんによる食事のメニューの紹介。一品一品丁寧に説明がなされていく。決して邪魔をしてはいけない。これこそが一種の儀式なのである。そしてわれわれもこの説明を楽しみにこの宿へと泊まるのである。島名産の泡盛も出され、初めての人たちは大喜び。
食事が終わる頃になると、みんなテレビの画面へ釘付けになる。ちょうどNHKで天気予報が始まるのである。本土にいるとそれほど意識はしないが、ここ離島では天気予報は絶対に欠かせない情報のひとつである。船や飛行機は順調に運航されるのかどうか、浜で遊べるぐらいの陽気なのかどうか、そんな情報を確保するためにみんなの目と耳は真剣になる。残念ながら明日は荒れ模様のようである。翌日に到着する予定の仲間もいるのだが、果たして大丈夫なのであろうか。
食事を終えて、表のテーブルでみんなと団欒。それが可能なぐらいの気候なのである。売店で買ってきたおやつをつまみながら、みんなで再び泡盛を飲む。この島は離島ながら各売店とも遅くまで開いている。そういった面では意外と本土と変わりがない生活を楽しむこともできるのである。夜の11時も近くなり、今夜はここでお開きにする。