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一番上から3つめまでの温泉・銭湯・チムジルバン(韓国式サウナ・岩盤浴)がこのブログの主な記事です。ぜひ一度ご覧ください。

また日本人にとってはあまりなじみのないキューバイランモロッコの旅行記もお薦めです。こちらもご覧ください。

2001年04月26日



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モロッコ旅行記・2001年4月・モロッコ出国 ティトゥアン・セウタ・ジブラルタル

シャウエンからティトゥアンまでグランタクシーにて移動。じつはグランタクシーが客で一杯になる前にバスのほうが先に出発してしまったのである。こういうこともあるので、客の埋まり具合を見てどちらにするかを考えたほうがよい。

モロッコのグランタクシーに乗るのは大変である。前の助手席に2人、後ろの席に4人も座る。この体制で山の中の曲がりくねった道を走ると車から振り落とされてしまいそうな気になる。チュニジアの乗合タクシー・ルアージュの場合はステーションワゴンの荷台部分を改造して座席にしてあり、助手席に1人、真中と後ろの列に3人ずつ座る。これなら無理なく座れるのであるが、モロッコ人はここまで考えないのであろうか。

ティトゥアンに到着。バスターミナルに荷物を預けて街中をうろつくことにする。バスターミナルでは預かり所に連れて行ってやる、チップをよこせというやつが寄ってきたが、もちろん無視して自分で行く。4DH。

メディナの入り口あたりでまた案内してやると寄ってきたやつがいたが、これも無視。ここのメディナも世界遺産に登録されており、かなり規模が大きい。しかしマラケシュやフェズのメディナと違い、観光客向けではなく地元の客向けの店が多く、生活臭があふれている。2時間ほど歩き回ったあとバスターミナルに戻り、いよいよ国境の街・セウタへ向かって出発である。バスターミナルの南西側、ガソリンスタンドの南向かいにセウタ行きグランタクシーの乗り場がある。15DH。

1時間ほどでセウタ国境にたどり着く。あたりには出国手続きを待つ人やいろいろな物売りがいる。中にはモロッコの出国カードを持ってきて、「40DHだ。」と言ってくるやつもいる。もちろん「無料だ。」と言って押し返す。物乞いをしている足のない老女に残りのディラハムをすべて渡す。あんなくだらないやつに40DHも払うくらいなら、本当に金を必要としている人にあげたほうが遥かによい。(とはいっても、10DH未満であったが)

出国手続きに向かうと、係官が寄ってきて出国カードを手渡してくれる。外国人のほうは列も短く、スムースに出国できる。ついにモロッコとお別れである。

5年前に来たときも最初はびくびくしていたが、1週間後に帰るときには本当に名残惜しく感じたものだった。今回は最初から緊張することもなく、のびのびと旅を楽しむことができた。またもう一度来てみたいという気持ちになっている。名残は惜しいが出国手続きを済ませる。

国境からセウタ中心街行きのバスに乗る。ここは免税港であるため買い物でもできればと思ったのだが、残念ながらシェスタの時間であり、港近くの大型スーパーをのぞいてすべて閉まっている。住民はアラブ系も多いのだが、彼らもスペインの習慣に従っているようで実に不思議な街である。見所も特にないので、すぐにアルヘシラス行きの船に乗る。

アルヘシラスではまたパスポートと税関検査がある。同じ国ではあるが、セウタにはモロッコ人が簡単に入れるのと、免税品が大量に逆流するのを防ぐためであろう。ちなみにセウタで売られている免税品は北アフリカ中へ流れていくそうである。

アルヘシラスからジブラルタルとの国境の町ラ・リネアへ向かう。ラ・リネアのバスターミナルから国境までは東へ歩いて5分ほどである。ジブラルタルは物価がイギリス本国並みのこともあり、ラ・リネアに宿を取ってジブラルタル観光するのも悪くない。食事の面でもラ・リネアのほうが満足できるであろう。

国境でははんこを押されることもない。日本のパスポートを見せればそのまま通してくれる。国境を越えるといきなりイギリスの世界に変わる。警官はイギリス独特の高い帽子をかぶり、街には2階建てのバス・ダブルデッカーが走っている。フィッシュ&チップスを食べさせるパブもいたるところにある。ちなみに国境から中心街へのバスではペセタ・ポンドとも使うことができる。

国境を越えるとすぐに空港の滑走路があり、滑走路を歩いて横断して市内へ向かう。1日数便しかない空港ゆえにこんなことができるのであろう。まるで南太平洋にある島国の空港みたいである。

そういえば、5年前初めてモロッコに行ったときの飛行機は、ロンドン・ヒースロー発ジブラルタル経由カサブランカ行きであった。ジブラルタルでトランジット中に日が暮れて、明かりに照らされた岩山 The Rock を見ながらのある種幻想的な離陸であったのを覚えている。

トランジット時に空港の小さな免税品店でラムを買ったのだが(ジブラルタルも免税港であり、酒などが安い)、カードのサインを漢字でしたとき、「こんなサイン、初めて見たわ。」といわれたのを思い出す。日本人客は少ないのであろうか。


   

2001年04月25日



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モロッコ旅行記・2001年4月・アンダルシアに似た白い壁の町 シャウエン

いったんティトゥアンへグランタクシーで向かい、そこでシャウエン行きのグランタクシーに乗り継ぐことにする。バスなら直行便もあるのだが、この方が速いと思ったからである。ティトゥアンに着き、いったん観光案内所へ向かう。

次の日にまたここへ戻ってくるのでそのために寄ったのだが、ついでにシャウエン行きグランタクシーの乗り場も聞く。すると彼らが連れて行ってくれることになったのだが、最初タクシーではなくバス乗り場に連れて行かれそうになる。私はグランタクシーに乗りたいのだというが、バスのほうが便利だといわれ、結局バスで行くことにする。案内所を出る前に責任者らしき人が案内してくれる人間に小銭を渡すのが見える。彼はここの職員ではないのだろうか。

彼からスペイン語は話せないのからしきことを聞かれる。モロッコの大部分は元フランス領であり、フランス語が学校教育でも使われるのだが、スペインに近い地域だけはもともとスペイン領であり、スペイン語のほうが通じるのである。

切符を買いバスに乗り込む。15DH。やはり荷物代を請求されたのだが、彼が身分証明書らしきものを見せ、そんなものは取るなと言っているようである。本当は地元の人間は荷物代など払わないという話もあるのだが、これを見ていると本当なのかもしれない。

バスが見晴らしのよい開けた山道をぐんぐん登っていき、シャウエンに到着する。街全体が山の斜面にへばりついたような構造になっており、メディナの中を歩き回るのも一苦労である。

メディナ内の建物の壁は白が基調で所々にパステルブルーが組み合わせてあり、非常にかわいらしい。アンダルシアに通ずるものがある。かつてスペイン領だった関係であろう。ホテルや食費が安く落ち着いた場所であり、ここも長期旅行者にとっては長居ができそうな街である。

メディナの中心にあるウタ・エル・ハマム広場にたどり着く。ここにはいくつかのカフェがあり、何もせずに過ごすにはぴったりである。この広場から北へ伸びる小道沿いにはいくつもの感じのいいレストランが並んでいる。

その中の1つ、広場のすぐ北側で通りの西側にある Salon Aladin に入る。ここは Lonely Planet で薦められている店である。だいたい私はアングロサクソンの味覚などは信用しないのだが、少なくともここに関してはあたりであった。フルコースで50DHほどである。

食事を終えてからメディナを歩き回る。ここの店は特に客引きもしないので落ち着いて見ることができる。子供たちのあいさつが「Bonjour」から「Hola」に変わている。ここでもスペイン語のほうが通じやすいようである。

夕暮れ時になって街の一番山の手へと向かう。一番上のほうに学校があり、さらにその裏へと登る。ここからは街や向かいの山を一望することができ、写真を撮るのなら最高の場所であろう。夕暮れが近づき、メディナ全体が赤く染まっていく。6時ごろになって学校から子供たちが帰っていく。こんな遅くまで授業があるというのはひょっとすると2部制なのだろうか。

地元の子供たちが寄ってきて、ひまわりの種を分けてくれる。何も会話はないが彼らと時間を共有しているという感覚が沸いてくる。アラブ圏やイランの場合(イランはアーリア人の国である。彼らはアラブ人ではない)、言葉が通じないにもかかわらずしつこくしゃべりかけてくる人間も多くてうっとうしいのだが、彼らのように何もいわなくても通じるものもあるのである。なんでもいいからしゃべりつづければいいというものでもない。日没とともに彼らに別れを告げる。

先ほどの広場近くまで戻り、レストランを探す。また広場のすぐ北側で通りの東側に雰囲気のいいレストランを発見する。後から調べると「地球の歩き方」と「Lonely Planet」の両方に載っているRestaurant Tissemlalであった。天井が高く照明が落としてあり、各テーブルにはろうそくがともしてある。さらに奥のほうの席は個室風になっている。パエリアをたのもうと思ったのだが、40分前までに予約が必要とのこと。あきらめて他の料理にする。やはりフルコースで50DHほどである。


   

2001年04月24日



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モロッコ旅行記・2001年4月・列車の中にて マラケシュ・タンジェ

6時10分のパスでマラケシュの鉄道駅へ向かう。今回は Supratours (スープラ・トゥール)というバスなのだが、この会社は国鉄の直営であり、マラケシュなどの駅を起点に鉄道のない地域へ路線を持っている。エッサウィラのほかにもアガディール・ワルザザート・タンタンなどへバスを走らせており、鉄道との連絡切符も買うことができる。料金は若干割高ではあるが、他の会社と違い荷物代も取らず、設備もよいのでお薦めである。なお他のバス会社とは乗り場が違うので注意が必要である。鉄道駅のあるところでは駅に隣接して乗り場が設けられている。

8時30分マラケシュ駅到着。9時発フェズ行きの列車に乗る。ほとんどのコンパートメント(個室)に客が乗っており、空室はない。長旅のため、ちょっとでも人のよさそうな客が乗っている個室を探し回る。幸いにも人のよさそうな学生たちが乗っているコンパートメントに空き席があり、ここに決めるが、これが大正解であった。

彼らはこれから首都のラバトへエコール・テクニーク(日本では技術系大学(もしくは大学院)に あたるのだろうか)の入学試験を受けに行くところらしい。「日本のどこからきたのだ。」と聞かれて「××からだ。」と答えると、「あの○○会議のあったところか。最近▲▲が脱退の意向を示したでしょう。」と返事が返ってくる。どうやらかなりのエリートたちらしい。

これまでどんな国に行ったのだ、モロッコの印象はどうだったなどと聞かれ、そのうちに日本人の平均収入などに話が及ぶ。多い人だとこれぐらい、少ない人でもこれぐらいはあると説明すると、モロッコではとても考えられないといわれる。でも、彼らは肝心なことがわかっていない。収入が多くても、その分支出も多いのだということを。

モロッコ人は簡単に日本へ入れるのかと聞かれ、旅行者としてなら3ヵ月はビザなしで入ることができるが(未確認情報によると、最近不法就労者が増えてビザなしでは入れなくなってしまったらしい)、労働ビザを取るのは非常に難しい、モロッコ料理の調理など特別な技術があれば別だが、と答えておく。

また理科系の学生らしく、ポワンカレやコーシー・シュワルツの話が出てきたり、この数式を日本での読み方で読んでくれと頼まれる。

そのほかにも、アガディールの旅行代理店のときと同じく日本や周辺諸国の地図を描き、位置関係を説明する。日本の北の端から南の端までの緯度差が約30度であり、これはスカンディナビアの北の端からイベリア半島の南の端までの差に等しいと説明すると、そんなに広いのかと驚いた様子である。

いつも思うのだが、海外に行くときには地図帳を持っていったほうがよい。アジアを離れると日本・韓国・台湾・中国・ロシアなどの位置関係すらわからない人間たちがほとんどなのである。

日本が熱帯にあると思っている人間もざらであり、4月ごろだと一番北の北海道ではまだスキーができるが、一番南の沖縄ではもう泳ぐことができるというと、たいていの人間はびっくりする。やはりわたしの友人のQさんのように地図帳を持ち歩くのは正解である。ただし、英語で地名が併記してあるもののほうがよい。

ラバトで彼らと別れ、旅を続ける。モロッコの列車は乗り心地もよく、時間も正確であり、バスよりも速いためお薦めなのだが(マラケシュ-カサブランカ-メクネス-フェズ間の幹線は電化されている)、唯一の難点は食堂車がないことである。小さなチーズ入りパンが12DHもする。バスなら途中で道沿いのレストランに入れるのに。あえてもう一つの難点を挙げれば、車窓からの風景がバスに比べて単調なことであろう。

14時50分シディ・カセムに到着。ここにてフェズ発13時30分の列車に乗り換える。30分の乗り換え時間中に駅前でちょっと遅い昼食でもと思ったのだが、駅前は工場ばかりで何の店も人通りもない。

15時20分シディ・カセムを出発。本当に単調な風景が続く。18時15分タンジェ・モロラ駅に到着。同室だった年配の女性が「まだタンジェではない。」というようなしぐさをするが、乗客は全員下車している。駅員に切符を見せて確認すると、ここで降りなさいという。同室の女性はここから市内までの路線が廃止されたことを知らないらしい。慌てて二人して降りる。

駅前にはたくさんのタクシーが止まっているが、どれも軒並み吹っかけてくる。どの車もおまえ一人で乗っていけといってくるがそれを断りつづけていると、オーストラリア人旅行者たちがこのグランタクシーに乗っていけと誘ってくれる。

ちなみに駅を出ると、線路と直角に交わるようにタンジェ-ティトゥアン-シャウエン-フェズ間の幹線道路が走っている。駅から向かって左側がタンジェ市内、右側がティトゥアン方面である。市内バスや長距離バスもここを通っており、ここから市内バスでタンジェに向かったり、ティトゥアン方面行きの民間バスをつかまえることができるかもしれない。

グランタクシーを降りる段階になって15DHも吹っかけてくるが、10DHだけ払ってその場を離れる。しつこい客引きに付きまとわれるが、それを断り自分でホテルを探し出す。

新市街にある Restaurant Populaire という魚料理の専門店を訪れる。「地球の歩き方」に書かれていることと違い、大変すいていたが(ただし、予約済みの席もあった)、ウエイターの対応は大変好感が持てる。また客筋もかなりよいようである。

説明によると100DHと150DHのコースがあり、100DHのほうは魚のタジン、150DHのほうは魚のグリルだとのこと。グリルのほうを注文する。最初にナッツ類、引き続いて魚のスープが出てくる。スパイスも効いておらず、大変あっさりしている。

そのうち胃腸にもよいというミントの飲み物を勧められる。追加料金がいるのかどうかはわからないが、とりあえずもらうことにする。砂糖も何も入っておらず、口の中がすっきりする味である。

ついにメインである魚のグリルが登場する。それといっしょにジュースはどうか、と勧められる。値段はわからないがとりあえずもらう。かなり濃い味のジュースである。杏のジュースなのだろうか。

デザートとしてイチゴに濃厚な甘いソースとナッツがのったものが出てくる。その上さらにウエイターはチェリモヤも出してくれる。チェリモヤというのは、見かけは東南アジアで見かけるシュガーアップル(お釈迦様の頭のような果物)、味はアボガドとドリアンの中間のような味で、においはなくバターのようにねっとりとして大変おいしい。アンダルシアが原産地らしく、スペインではよく見かける。和歌山でも作っているらしいが、日本ではかなり高かったように思う。

さらに山盛りのびわまで出してくれるが、もう手がつけられない。食後のミントティーも断り、支払いを済ませる。合計がいくらになっているのか心配であったが、結局150DHだけでよかった。つまり飲み物もすべて含まれていたのである。ウエイターも実に明るく楽しい人であり、お薦めの店である。


   

2001年04月23日



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モロッコ旅行記・2001年4月・単調な味付けの食事から解放されて エッサウィラ

朝からビーチへ向かうが、天気はよくても風が強いので泳ぐことはできない。その代わりウィンドサーフィンやパラセーリングなどをやっている。街へ戻ってスークを探索する。ここのスークは規模は小さいが活気がある。

お昼にはまた港の屋台へ向かう。肉尽くしだった身にとっては新鮮な魚介類は一服の清涼剤である。パンと羊とヨーグルトさえあればいいという友人がいるが、とても真似できない。

モロッコの食材自体は大変いいのである。野菜も豊富で新鮮だし、鶏もブロイラーとは大違いである。ところが味付けや調理法に変化が乏しいのである。焼く・煮る・湯がく・蒸す・揚げるなどいろいろな調理法を使っているわれわれから見るとあまりにもったいなく感じられる。調理法さえ充実していれば。モロッコの普通のレストランではたいていクスクス・タジン・ブロシェット(串焼き)の3種類ぐらいしか調理法がない。

食後は街の中心にあるムーレイ・ハッサン広場のカフェにて一服。ここにはたくさんのカフェやレストランが建ち並び、風も建物でさえぎられているので一休みするにはいい。

夜は広場近くのレストランにて魚のタジンを食べる。コースで80DH。タジンというのは土鍋の上に円錐形のふたをかぶせた鍋のことをいうのだが、この料理を使った料理のこともタジンという。決してビンゴ大会の営業ばかりに行くベタな上方芸人のことではない。(それはタージン!)

普通は羊や牛・鶏肉をいろいろな野菜やオリーブと一緒に煮てあり、かなり脂っこいものなのだが、魚の場合はそれほどでもない。もちろん内陸部では食べられないものである。それにしてもスパイスの効いた魚料理というのは不思議な味がする。

レストランのほうは照明を落としてローソクがつけてあり、非常に落ち着いた雰囲気である。8時からはベルベル人による民族音楽の演奏が始まる。残念ながら名前は失念してしまった。


   

2001年04月22日



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モロッコ旅行記・2001年4月・白い壁と青い扉の街 エッサウィラ

エッサウィラへ向かう。地中海の道を走っていくので眺めはよいのだが、曲がりくねった道であり、しかも猛スピードで走っていくので乗り心地はよくない。おかげでもどしてしまった。もどしたのが休憩中だったのが幸いである。それにしても休憩に入った食堂のトイレがひどかった。なにせ個室の中が真っ暗なのである。扉を開けている間に十分に位置を確認し、扉を閉める。

エッサウィラに到着後、メディナの中でホテルを探し始める。ある客引きに「あなたは普通のホテルではないホテルを探しているように見えた。そんなあなたのためのホテルがある。」といってあるホテルに連れて行かれる。

一軒普通の民家のような入り口を入ると、中には一部屋一部屋違ったオブジェなどで飾り付けられた部屋が並んでいる。経営者はフランス人の芸術家らしい。室内には大きなバスタブもあり、部屋によっては風呂に入りながら海も眺められる。

料金は400DHからであり、魅力的ではあるが、予算を超えるので残念ながらあきらめる。屋上の小さい部屋なら150DHにしておくといわれるが、それも断ることにする。もし予算に余裕があればぜひ泊まってみたい宿ではある。名前は Les Chevaliers de la Tour d'Argent de Scala。Rue Derb Lallouj から西側に入ったところにあり、博物館よりも北側である。クレジットカードも可。Tel 044-47-5799

Hotel Rampart に泊まることにする。部屋数が多いので、他が満室でも空室があることが多いらしい。屋上からは城塞や海岸を見下ろすことができる。宿で荷物を解いて街へでる。

非常に小さい街ではあるが、ギャラリーや寄木細工の工房が建ち並び、そういったものに興味のある人にとっては楽しい街である。街並み自体もすっきりしており、白い壁に青い扉の組み合わせが美しい。時間さえあれば長居したい街である。街北側の城塞には強い風のために激しい波が打ち寄せる。ここからの眺めは壮大である。

港には10数件もの屋台が出ており、魚介類を炭火焼にして食べさせてくれる。ここまで食べ物についてはほとんど書いてこなかったが、それは他のイスラム圏同様、この国の食事も変化に乏しいからである。ところがここの屋台では鰯・鯛・鱸(すずき)・いか・えび・かに・しゃこなどが食べられるのである。それもイスラム圏にありがちな濃い味付けではなく、レモンを絞っただけで食べさせてくれる。

ただ残念なのは、いっしょに出てくるのがバケット、つまりフランスパンということである。やはり魚介類には銀シャリ、白米でなくては! 足の端から端までが30cmもあるような蟹が50DH、いか一杯25DHなどである。伊勢海老50DH、うにが2個で10DH、鰯の値段は失念してしまった。


   

2001年04月21日



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モロッコ旅行記・2001年4月・タフロウトへのツアー探し アガディール

グランタクシーにてアガディールへ向かう。本当はタフロウトへも行きたかったのだが、時間の関係であきらめる。この街は1960年の大地震で壊滅しており、見るべきものは何もない。ヨーロッパ人にとっては東南アジアのビーチみたいな存在なのであろう。しかしそれほど海がきれいというわけでもない。

海岸近くの道を歩いていると、一軒の旅行代理店を発見する。タフロウトに行きたいのだがと告げると、ちょうどツアーがある、ただし最小催行人数は4人だといわれる。料金は300DH。バスの往復運賃だけでも120DHすることを考えると、決して高くはない。とりあえずパンフレットだけもらう。

夕食を終えてからツアーを申し込むため、もう一度代理店へ向かう。いきなり、「君は必ず申し込みに来ると思っていた。」と歓迎される。ところが残念なことに他のツアー申込者がおらず、次の日にはタフロウト行きのツアーはないことがわかる。4-5日後なら他の客もあるだろうといわれたが、そんなに長居はできないのであきらめることにする。

残念ながらツアーには参加できなかったが、ミントティーをいただきながらいろいろな話が始まる。普通このあたりでは「日本人か。中国人か。と聞かれる場合が多いのだが、この代理店ではいきなり「韓国人か。」と聞かれたのである。よく聞いてみると、首都のラバトには遠洋漁船に乗る韓国人漁船員がたくさんおり、彼らがこのアガディールまでよく来ているらしいのである。

そのほかにも日本の失業保険・健康保険制度・学校教育にかかる費用などに話が及ぶ。また日本や周辺諸国の地図を描いて位置関係を説明すると、みんな興味津々で聴いている。

残念ながらツアーには参加できなかったが、客引きもしつこくなくなかなか対応のよい代理店であった。なお遠くのホテルに泊まっている場合には、ツアー出発時には迎えに来てくれるとのこと。名前は Massira Travel Agency。海岸沿いを走る Av. August 20 にある。現金のみの取り扱い。クレジットカードは不可。連絡先は mastravel@iam.net.ma Tel&Fax 048-84-0075


   

2001年04月20日



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モロッコ旅行記・2001年4月・アトラスからの絶景を眺めながら マラケシュ・タルーダント

タフロウト行きのバスを探すがないとのことで、代わりにタルーダントへ向かう。アガディール経由の便とアトラス山脈越えの便があり、10時のアトラス越えの便に決める。80DH(70DH?)。今回の旅行の中で一番のおんぼろバスであった。

アスニという街を抜け(ここでもかなり涼しかった)、山の中へ入っていく。マラケシュ-ワルザザート間の道よりはるかにすごい道で、車が離合するのも困難な道を通っていく。おそらく雨が降れば岩が道路上をふさいで、通行止めになってしまうに違いない。

バスの中には他の外国人旅行者は誰もいない。途中の道では多くのヨーロッパ人観光客がレンタカーや自家用車で走っているのに出くわす。こちらの道も標高2000mを越す地点を抜けていくのだが、本当にすばらしい風景が車窓に広がる。峠の上からは遥か彼方まで眺めることができる。なんとなく乗ることに決めたバスだったが、これは大正解であった。

終点近くでタルーダント行きのグランタクシーに乗り換えさせられる。これはバスの運賃に含まれており、追加料金を払う必要はない。

18時ごろタルーダント到着。中心にある Taroudant Hotel に宿を取る。安いにもかかわらず、部屋や中庭の雰囲気もよく、スタッフの対応もよい。「地球の歩き方」の情報と違い、55DHの部屋もある。ただし、あまり街には見所はない。ちなみにクレジットカードでの支払いも可能である。

今夜の夕食はホテルの中庭にあるレストランにて。ワインもとったが、それほどの味ではない。


   

2001年04月19日



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モロッコ旅行記・2001年4月・ハマム体験 マラケシュ

ホテルの温水シャワーが有料なので、ハマムへ行くことにする。男性用は朝早くから営業している。中では下着を着たまま入る。イスラム圏では他人に素肌を見せることは恥ずかしいことだからである。いくつかのバケツが置かれており、それにお湯をためて身体を洗う。清潔さの面ではかなり疑問がある。正直言って期待していたほどのこともなかったので、早々で切り上げてホテルへ戻る。でも地元の客は2時間・3時間と話をしながら過ごすらしい。

メディナの中のスークを探索する。ここのメディナはマグレブ諸国で最大規模らしい。相変わらず地元の客や観光客でごった返しており、すごい活気である。途中楽器屋に呼び込まれ、最初の間はいい雰囲気で会話していたのだが、「ちょっと考えさせてくれ。後から戻ってくるから。」といっても、「なぜこの値段で買わないのだ。」と繰り返され、不快になって出てしまう 。もっと外国人客の心理を学んだほうが彼らのためになるのであるが。

夕方、ジャマ・エル・フナ広場横にあるホテルの屋上のカフェで過ごす。ここから見る夕暮れ時の広場はなかなかよい。この広場の活気は一見の価値がある。わたしに再びモロッコへやってきたのだという感慨を一番もたらしてくれた場所であった。

今夜の食事は広場のすぐ近くにあるレストランにて。率直に言って味・値段ともに広場の屋台よりはるかに上である。屋台はあくまでも雰囲気を楽しむところである。


   

2001年04月18日



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モロッコ旅行記・2001年4月・カスバ街道を通り抜けてアトラス越え、そしてジャマ・エル・フナ広場 ティネリール・ワルザザート・マラケシュ

覚めると遠くのほうから「モーニング娘。」の曲が聞こえてくる。ロビーへ出て行くと「Love Machine」などの曲や宇多田ヒカルの曲が次々と流れてくる。なんでもけさ東京のほうからテープが送られてきたらしい。「♪にぃーっぽんのぉーみらいはぁー、うぉううぉう、うぉううぉう♪」、いかんいかん、一緒になって歌っている場合ではない。なんでここまで来て学校でもいじめっ子で有名だった中澤裕子が抜けたばかりのグループの曲を聴かなければならないのだ!

中澤裕子といえばひどいやつである。京都府福知山市出身であるにもかかわらず、デビュー当時は大阪出身であると偽っていたのである。そんなに福知山出身が恥ずかしいのか!まあ確かに田舎ではあるが。(笑)

また話が脱線してしまった。そういえばこのホテルに着いたばかりのとき、いきなりスタッフが「慎吾ママのおはロック」を歌いだしたのを思い出した。

昼間はホテルのカフェで働き、夜はレストランでドラムの演奏をしている50代の男性従業員がいるのだが、彼がわたしにいろいろな日本語を教えてくれと言ってきていた。わたしもそれに付き合ったのだが、なんでも彼は学校に行っていないらしく、「アラビア語も、フランス語もこのホテルで勉強したんだ。このホテルはわたしの学校だ。」というようなことをいっていた。彼はベルベル人であり、ふだんはアラビア語ではなくベルベル語を話すのである。

そういえばおとといのじゅうたん屋では二人の女性がじゅうたんを織っていたのだが、そのうちの一人はベルベル語とフランス語は話せるがアラビア語は話せないと言っていた。彼に日本語を教える代わりに、何杯ものコーヒーやミントティーをご馳走になる。

10時にマラケシュ行きの直通バスがあるとのことで、それに乗ることにする。70DH。本当ならワルザザートへいったん行き、そこからタフロウトかタルーダント行きの山越えのバスを探そうかと思っていたのだが、予定を変更する。

ワルザザートを抜けてしばらくすると、山越えの道が始まる。標高2000mを超える地点を抜けていくのだが、曲がりくねった道を走るため、吐く者もでてくる。その代わり車窓の風景は本当に雄大である。

下り坂に差し掛かったとき、突然車掌がバスを降りた。窓の外ではその車掌が一気に山を走り降りているのが見える。そのうちバスに先回りして、またバスに乗り込んでくる。道路は曲がりくねっているからこのようなことも可能なのである。何のために彼がこんなことをしたのかわからない。他の乗客も特に驚く様子はない。本当に謎である。

17時40分マラケシュに到着。かなり混んでいるようで、少々宿探しに苦労する。宿に荷物を置いてジャマ・エル・フナ広場に行くと、もう屋台や大道芸人たちでいっぱいになっている。

まず広場の周りには60ほどの屋台が並び、そのうち半分はオレンジジュースの屋台、残りはカセットテープやナッツ類の屋台である。その内側にはハリラというスープ・カタツムリ・生姜のよくきいた漢方風のお茶・羊のソーセージなど単品を扱う屋台があり、さらにその内側の屋台が多くの種類の料理を扱う屋台となっている。

正直言って、内側のなんでも扱う屋台では料理も冷めており、それほどおいしくもなく、また値段も高くぼることも多いので、お薦めしない。それゆえに客引きも激しく、地元客もあまり見かけないように思う。反対に単品を扱う屋台のほうがおいしいことが多いようである。そういう屋台は地元客も多く、あまり客引きもしていない。11時を過ぎてホテルに戻るが、まだ広場のほうからは大道芸の音が聞こえている。


   

2001年04月17日



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モロッコ旅行記・2001年4月・渓谷の中へ トドラ渓谷・ティネリール

ホテルのテラスで朝食を取ったあと(なかなか眺めもよい)、グランタクシーにてトドラ渓谷へ向かう。6DH。最初はレンタサイクルを使おうかと思ったのだが、他の旅行客からかなり疲れるぞと教えられ、グランタクシーに決めたのである。道すがらの眺めもなかなかよい。途中に自転車ではかなり疲れるであろう峠越えがある。

トドラに到着する。周囲の乾燥した風景とは違い、水がこんこんと沸きつづけ、緑も豊かである。本当に落ち着ける風景である。しかし、やがてヨーロッパ人のツアー客が大型バスで乗りつけ、かなり騒々しくなる。

ここで大阪と京都からの女性4人組に出会う。トドラにある Hotel Yasmina に泊まっているのだそうで、たった9日の休暇でこんな南まで来たとのこと。

昼食を終えてティネリールへ向けて帰る。4kmほどの距離があるのだが、下り坂が多く、途中の眺めもよかったので歩くことにする。ところが、歩き出してすぐに地元の車に「乗っていかないか。ティネリールまでは遠いよ。」と誘われる。ひょっとすると後からお金を請求されるかもと考えたが、その際はグランタクシーと同額程度の金額を渡してさっさと逃げる覚悟をした上で、車に乗り込む。

ちょうど眺めのよい峠に差し掛かったところで降ろしてもらう。結局何も要求されず、単なる親切心から乗せてくれたのであった。この峠からの眺めは大変よく、遠くにはティネリールの街も見え、近くには川沿いのオアシスの緑が目に入る。

峠を降りていくと、そのうちにらくだの客引きに出会う。無理やりにらくだに乗せられ広場を一周させられる。降りるときに金を請求されるが、それをさえぎって「このオアシスを一周すればどのぐらいか。」とたずねる。すると2時間で600DHだとふっかけてくる。一泊二日の砂漠ツアーと変わらない(あるいはそれ以上)の金額だったので、「1時間20DHでどうか。」といい、交渉を続けると、「What price will make you happy?」といって、石を地面に投げつけて怒り出す。あまりのふっかけ方と態度のひどさにその場を後にする。

後ろでけんかしている様子が聞こえたので後ろを振り返ると、その男と子供がつかみ合いのけんかをしている。ひょっとすると、ふっかけ方のひどさでも注意されてけんかしているのかもしれない。

川のほうへ降りていくと、川に沿って南のほうへ道が伸びている。身なりのいい二人組に声をかけられるが、フランス語がわからないので、とりあえず「ティネリールへ帰るところだ。」といっておく。すると「このまま行けばいい。」と言ってくれているようなので、そのまま川沿いに歩く。川沿い一帯がオアシスになっており、非常に緑が豊かである。川の水も豊富で、洗濯をしている女性や子供もたくさん見受けられる。やがてティネリールへの幹線道路にたどり着く。

この夜もホテルのレストランでドラムを叩くことになる。


   

2001年04月16日



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モロッコ旅行記・2001年4月・砂漠からの脱出、そしてカスバ街道へ メルズーガ・リッサニ・エルフード・ティネリール

朝食もそこそこに乗り合いの車でホテルを後にする。料金10DH。1時間ほどでリッサニに着く。ここで会った日本人旅行者から、きょうは週3便しかないティネリール行きのバスがあることを聞くが、エルフードでグランタクシー(乗合タクシー)を乗り継いだほうが速いだろうと思い、バスには乗らないことにする。

ところがいざエルフードに着くと、他のティネリール行きの客がなかなか来ず、結局リッサニ発のバスに乗る羽目になる。ところが広場で切符を売っているものに料金を聞くと60DHだといわれる。前もってけさホテルの者に聞いていた金額の2倍であり、おかしいと思っていると、後ろに切符売り場があるのに気づく。料金30DH。他の街でも似たようなことがあるのだそうで、充分に気をつけたほうがよい。

いざバスに乗ろうとすると、荷物代として30DHも要求される。つまり60DHのうち30DHは荷物代だというのである。せいぜい5DHで充分なものであり頑として断るが、何人かがやってきて30DH払えと要求する。いつもなら大声でやりあうのだが、この日はそういう気にならずひたすら無視する。(本当はやりあったほうがよい)

ティネリールへ到着。妙に流暢な日本語をしゃべる客引きが寄ってくるが、怪しいのでついていかず、バス乗り場北側にある Hotel l'Oasis に宿を取る。街をうろうろしていると、先ほどの客引きと出会う。先ほどのバスでいっしょだった日本人客が彼のところに泊まっているので、取りあえずついて行きテラスに上がる。

そのあと一緒に街を歩くことになり、最終的にじゅうたん屋へ連れて行かれる。道すがら通り過ぎる人々が「すんまへんな。」といっているのをたびたび耳にするが、これはベルベル語で「失礼します。」にあたる言葉らしい。

この街の主な住民はアラブ人ではなく先住民族のベルベル人であり、このじゅうたん屋の人たちもベルベル人である。早速ミントティーがふるまわれ、「これはベルベルウィスキーだ」と告げられる。つまり、本来酒を飲まない彼らにとってはこれが酒の代わりだというのである(実際には少なからぬ人たちが酒を飲んでいる)。

じゅうたんを織るところを見せられているうちに商品のじゅうたんが運ばれてくる。「この印はベルベル人の歓迎の精神を表している。これは砂漠を、これは星を表している。」などと説明を受けるうち、「おまえはどの色が好きだ。」と聞かれる。

ここが非常に商売上手だと思うのだが、もし「どの色のが欲しいか。」と聞かれれば、こちらには買う気もないので即座に「いらない。」と答えてしまうのだが、「どの色のがすきか。」と聞かれるだけであれば、とりあえず「青色のが好きだ。」と答えてしまうのである。そうやって相手の好みを探り出し、最後には売りつけてしまうのだ。さすがは砂漠の商人、なかなかやってくれる。そして青色のじゅうたんが数種類運ばれてくる。

今度は「どの大きさのが好きだ。」と聞かれ、「これぐらいのが好きだ。」とこたえる。前と同じくその大きさのじゅうたんが数種類運ばれてくる。そのあとも同じようなことを繰り返す。

そうこうしているうちに値段が提示される。こちらはまったく買う気がないので極端に低い値段を提示する。何度も「いらない。いらない。」といっているとどんどん値が下がってきて、最初は1000数百DHもの値段を提示していたのが、いつのまにか100数十DHにまで下がる。

それでも「重いからいらない。」と断りつづけていると、「おまえは本当に頑固なやつだ。」といわれる。「私は買い物が嫌いなんだ。日本でもほとんど買い物をしないんだ。」というと「それじゃあ何か交換する物はないか。ペン、シャツ、ああそうだ、日本酒はないか。この間日本酒を飲んだが、あれはおいしかったぞ。」といわれるが、何も持っていないので、それも断る。本当は最後の値段なら買ってもいい値段だったのかもしれないが、いらないものはいらないのである。

最後に「うちの妹はどうだ。ベルベルの女はマッサージがうまいぞ。」といわれるが、これも断っておくことにする。あくまでもいらないものはいらない。

いらないものといえば、かつて大橋巨泉が司会を務める「こんなものいらない」という番組があった。番組の最後には毎回衛星回線を通じてアメリカにいるジャックという男性に大橋巨泉が「Hi Jack!」と呼びかけ、彼の意見を賜るという番組だったのだが、いつもこの番組を見ながら、「大橋巨泉、おまえこそいらない。」と思うのはわたしだけであったのだろうか。

番組最終回におけるいらないもののテーマが「大橋巨泉」であったならわたしも彼のことを認めるのだが、残念ながらそうではなかった。彼もまだまだ小者である。

話を元に戻そう。食事をしてホテルに戻ると2階のレストランではベルベルの民族音楽が演奏されている。スタッフから誘われてドラムをたたくことになる。そのうちにスタッフや客が曲に合わせて踊りだす。なかなかの盛り上がりようであった。毎晩8時半から10時まで行われているようである。


   

2001年04月15日



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モロッコ旅行記・2001年4月・砂漠にて メルズーガ

朝食の後、みんながそれぞれ車で出て行く。最初は誰かに車でリッサニかエルフードまで連れて行ってくれと頼もうかと思ったのだが、そのうちに乗り合いの車でも来るだろうと思い、やめておくことに決める。

そうしているうちにホテルのスタッフがやってきて、「きょうはどうするつもりなのか」と尋ねられる。「乗り合いの車で離れるつもりだ」というと、「きょうはそんなものはない。あしたならある」と告げられる。やっぱり誰かに頼めばよかったと思いつつも、もう一泊することに決める。またホテルの前の椅子に寝転んで砂丘を眺めたり、砂丘の上まで一人で登ったりして過ごす。

以前チュニジアでサハラ砂漠に行ったときには日中は異常に暑く、夜間は寝袋の中に入っていないと耐えられないほど寒かったのだが、ここではそれほどでもない。これはこのあたりがそこまでは乾燥していないからであろう。それにしても本当に辺りには何もない。

この日の夕方は天候に恵まれ、日帰りでやってきたツアー客たちとともに砂丘へ登って夕日を眺める。日の入りの後にホテルへ向かうが、暗くなっていたため間違って隣のホテルへ行ってしまう。大慌てで砂漠を抜けて元のホテルへ戻る。この日はツアー客もなく、静かな食事となる。


   

2001年04月14日



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モロッコ旅行記・2001年4月・砂漠へ エルフード・メルズーガ

6時過ぎにエルフードへ到着。車内でリッサニまで行きたいと告げると、それはできない、ここで降りなさいといわれてしまう。でも、昨日フェズの切符売り場でそうできるといわれたと告げても、できないといわれる。地元の客引きも同じことをいう。睡眠不足と疲れているのとで頭もまわらず、客引きについていってしまう。

メルズーガならここからツアーに参加すればと勧められるものの、以前チュニジアで砂漠への一泊二日らくだツアーに参加したことがあるので、今回は砂漠の中のホテルに泊まるだけでいいといい張り、しつこいツアーへの勧誘を断る(場所は、地球の歩き方に「スタッフの評判はよくない」と書かれている「ホテル・ズィズ Hotel Ziz」)。

とにかく私はリッサニへ行きたいといいつづけ(最初はリッサニに泊まり、そこで情報を集めてから日帰りツアーに参加するか、他の旅行者と一緒に砂漠のホテルに泊まるかを決めるつもりでいた)、そのうちに「それじゃあ、メルズーガのホテルまで連れて行ってやる」といわれる。料金は20DHでまとまる。

結局 Auberge de Sud なるホテルに泊まることになる。最初は「きょうは砂漠ツアーに行け。今夜は満室だ」といわれ、かなり高い値段の料金をいわれるが、疲れたふりをしてソファーに寝転んでいると、「とにかく客室に行って休みなさい」と告げられる。つまり、本当は空室があったのである。シャワーを浴びて一休みする。砂漠の中ではあるがお湯は十分に出る。

ホテルの前がすぐ砂丘になっており、2時ごろから表へ出て、砂漠を歩き回る。夕方、砂漠ツアーが出発しようというころになって砂嵐が吹き荒れ、扉や窓をすべて閉めてやむのを待つ。ちょっと遅れてツアーが出発する。そのうちにホテルのほうでは食事が始まる。レストランはヨーロッパ人のツアー客たちでいっぱいである。ホテルのスタッフたちによる太鼓の演奏が始まるが、なかなかの迫力である。


   

2001年04月13日



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モロッコ旅行記・2001年4月・いったい何者? フェズ

また朝からメディナへ向かう。この日もいろいろなスークを見てまわる。そして、メディナの入り口付近にあるブー・ジュルード庭園にて一休み。木陰が多く涼しいので、たくさんの大学生がここで勉強しており、地元の学生たちと知り合うには最適の場所である。さらに庭園の西側にあるカフェ(La Noria)に行きミントティーを飲む。アラブ圏のミントティーは中国産の緑茶を使い、たくさんの砂糖と生のミントを入れて作る。わたしの口には合う飲み物である。

カフェにて休んでいると、一人の現地人が声をかけてくる。ここの経営者とは知り合いらしく、経営者のほうも名札を見せながら「私はガイドではない」とわざわざいってくる。別に悪い人間ではなさそうなので、多少の警戒心は持ちながらも会話を続ける。「友達が札幌にいる」などお決まりのパターンの会話を続け、わたしが今夜の夜行バスでエルフードに行き、そこからメルズーガを目指すことを告げると、エルフードよりもその先のリッサニへ行き、そこからメルズーガへ行ったほうがいい、エルフードは見るものもないと告げられる。

そのうち「このメルズーガのホテルに泊まったことがある。ここはよかった」といいながら、ホテルのカードを見せられる。どうせ友達か何かのホテルだろうと思いつつも、とりあえず話だけは聞く。「もしよければ、リッサニまで迎えに来るように電話しておく。」といわれるが、それは断りカードだけもらう。

そのうち彼のおじさんだと称する人間が現れ、「私は公務員だ。彼から仕事場へ行くところだ。」といい出す。そして、「もしよければわたしの仕事場まで来ないか。」といわれる。普段のわたしならまずついては行かないのだが、それほど悪い人間にも見えず、またある程度地理のわかっていることもあり、ついて行くことにする。

帰る道順を頭に入れながら彼らの車に乗り、おじさんのほうのうちへ行く。道すがらおじさんのほうは公営のじゅうたん屋に勤めており、ここでは女性の生活を支援するために彼女らの作るじゅうたんを販売しているのだと説明する。じつは明らかに同じ人物だと思われる人間の話を偶然Web上にて発見してしまったのである。詳しくは下をクリック。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~travel/610.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~travel/611.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~travel/612.htm

彼のうちに行った後、その後近くの店へ連れて行かれ(他にも外国人観光客が歩いているのを見て、とりあえずは安心する)、このじゅうたんはいらないか、スパイスはいらないか、なにか交換するものは持っていないかとい言われる。をいをい、彼の仕事場へ行く話はどうなったんだと思いつつ、まったく興味がない、つまらないという表情をする。

そこで彼らもあきらめたらしく、ホテルまで送ってくれることになる。途中ガソリンスタンドに寄った際、「ガソリン代をちょっと持ってくれないか」といわれ、頭にきて車を降りる振りをすると、慌てて止められ、結局新市街まで送ってもらう。ちょっとむかつきはしたものの、最初のカフェで支払いをしなかったことを思い出し、「まあいいか」と考え直す。やはり安易に人にはついていくものではない。

CTMバスの乗り場に行き、エルフード行きの切符をリッサニ行きに交換してほしいというと、「車掌に5DH払えばいい」といわれ、そのまま21時発のバスに乗り込む。運賃95DH。バスは新市街地のターミナルを出て旧市街地のバスターミナルを経由、その後市外へと出る。

国営のCTMバスだったため乗り心地は悪くないだろうと思っていると、座席も倒れず間隔も狭くて落ち着いて寝ていられない。あまりバス運賃の変わらないトルコのバスとは大違いである。おまけにモワイヤン・アトラスの山越えがあり、カーブの続く道を走るため、本当に疲れてしまった。昼間の便なら眺めもいいのだろうが。


   

2001年04月12日



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モロッコ旅行記・2001年4月・メディナにて フェズ

ホテルより旧市街にあるメディナへ向かう。3キロほど離れているものの、途中にも見所があるため、バスに乗らず、歩いて向かう。王宮などを経由して、メディナの入り口に到着。メディナは外的からの攻撃から守るためわざと複雑に造られており、5年前に来たときはすごく複雑に感じたのだが、今回はそれほどにも感じない。

とりあえずあたりのカフェで朝食を取る。ごく普通のクロワッサンにアラブでは一般的なミントティー。過剰な甘さではあるが、乾燥した気候の中では口に合う。

メインの道は2本並行して東側にある広場へ通じており、この2本の道が一番人通りが多いので、人の多いほうへ歩いていればあまり迷うこともないのである。入り口のほうから広場へ向かっての急な斜面の上にメディナが作られており、それが構造を一段と複雑にしている。

いろいろなものを売ったり作ったりしているスークを見ながら歩き回る。食料品のスークでは鶏を生きたまま売っており、その場で絞めてくれる。確かに新鮮な素材である。これで調理法さえ豊富ならば・・・・・・。とにかくアラブ圏では調理法が限られているのが最大の悩みである。われわれのように昨日はしょうゆ味、今日は味噌味、明日は塩味などという発想はないようである。

それにしてもメディナの中は実に複雑である。坂を上ったり下ったり、突然建物の下の闇を通り抜けるかと思えば急に明るいところへと出てくる。その光と闇が交差することこそがメディナの魅力であろう。

メディナの中で5年前に訪れたカフェを発見。じゅうたん屋の屋上がカフェになっており、ミントティーを注文してから上へと上がる。屋上からはフェズのメディナを眺めることが出来るのだが、いかに複雑な構造をしているのかが手に取るようにわかる。


   

2001年04月11日



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モロッコ旅行記・2001年4月・モロッコ入国 タンジェ・フェズ

マドリードからのバスは予定より早く6時過ぎにスペインの南端・ジブラルタルの西にあるアルヘシラスへ到着。早速ターミナルに立ち並ぶ旅行代理店の1つから乗船券を購入。複数の船会社があるので、最も早く出発する会社を選んで購入する必要がある。ちなみにどこの代理店で購入しても値段は同じである。なおクレジットカードの使用も可能である。往復で買うと割引にはなるが、そうすると復路に利用できる船会社が限定されてしまい、一番早く出発する船に乗れなくなる可能性も高いので、できれば片道で購入するのが望ましい。

出港してしばらくすると船の中でモロッコへの入国手続きが始まる。かなりの行列ができるので、早い目に列へと並ぶ。船にはレストラン・免税店などがあり、たくさんの自家用車も搭載されている。ヨーロッパから自家用車で旅行する人たちが多いようである。そのうちタンジェへと到着。朝8時ごろには着くはずだったのが、なぜかしら10時になってようやく到着。

港へ着くとポーターが数人寄ってくるが、それほどしつこくはない。ガイド志望者は一人もいない。かつてタンジェはモロッコの中でも一番客引きやガイド志望者が多く、ここでいやになってスペインに引き返した旅行者も多かったそうだが、今やその面影はない。政府の取締りが功を奏しているようである。

港近くの両替窓口で両替をしようとするが、トラベラーズチェックは扱わず、現金しか両替できないといわれてしまう。とりあえず日本円を3000円ほどだけ両替する。ちなみにモロッコではほぼどこでも日本円の両替ができ、わざわざドルやユーロに替えていく必要はない。またところどころにATMもある。

フェズへ行くには列車のほうが速くて快適なので、できれば列車で行きたかったのだが、数年前に港近くの駅がなくなり、5キロも離れたところに駅があるのでバスで行くことにする。国営CTMバスの乗り場なら港のすぐ横にあるので、民営バスではなく12時発のCTMに決める。

とりあえずバスターミナルで荷物のチェックインを済ませて街をぶらつく。このときに預り証をもらうのを忘れずに。なお荷物を預けるのは有料である。またターミナルの内外にはいろいろな人物がいて荷物を渡せ、運んでやると言ってくるが、これらはみんなチップ狙いの者なので、絶対に相手にしないように。必ず自分の手で正規のカウンター内にいる係員に手渡すのが鉄則である。

正直言ってそれほど見所のある街ではない。ターミナル近くのレストランで早い目の昼食を済ませ、バスに乗り込む。結果としてはバスを選んだことは正解であった。列車は変化のない平坦な土地を行くのに対し、バスのほうはリフ山脈を越えてティトゥアン・シャウエンといった街を経由していくので、窓からの景色がなかなかよいのである。

途中数回の休憩をはさんでフェズに到着。夕方6時ごろには着くと思っていたのだが、結局日もとっぷりと暮れた8時になって到着する。この日は感謝祭(Easter)のため安いホテル・中級ホテルともにどこも満室であり、9時半になってようやく新市街地に空き室が見つかる。


   

2001年04月10日



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モロッコ旅行記・2001年4月・モロッコへの道 マドリード

朝の9時前にマドリード空港へ到着。シンガポールからUAEのドバイ・チューリッヒ経由で飛んできているだけに、疲労が著しい。おまけに39.2℃の熱を発熱。チャンギ空港内の診療所の医者に驚かれてしまう始末。でもとりあえずシンガポールで処方された薬が効いたのか、熱だけは平熱に下がっている。

早速地下鉄で市内へと向かう。1995年にこの空港へ降り立ったときにはまだ地下鉄は空港まで開通しておらず、バスに乗って市内へ向かったものである。ただこのバスの終着地がちょっと危ない。コロン広場の地下に到着するのだが、ここから地上への階段や地下鉄への連絡通路で強盗事件が頻発しており、95年に訪れた際にも強盗に襲われかけた人の話を直接聞いたりしたものである。未だに頻発しているようであり、地下鉄のほうがはるかに安全なようである。

うっかり空港内にあるスペイン国鉄・RENFEの窓口に行くのを忘れたので、市中にある窓口へと向かう。駅の窓口は混雑していることが多いので、こちらへ向かったほうが早いと考えたからである。ところが今夜も明日の夜もアルヘシラスへの夜行列車は満席とのことで、仕方なく窓口を後にする。やはりイースター休暇の関係であろうか。

とりあえず一旦JCBプラザ・マドリードへと向かう。他のクレジットカード会社も軒並み各国にトラベルデスクを設けてはいるが、それらはみな他社に業務を委託しており、必ずしも会員向けのサービスが徹底されていないように思われる中で、JCBプラザはすべて自社の社員で対応しており、会員向けサービスの提供では比較的優れているように思われる。

ということで事情を説明し、アルヘシラス行きのバスに空席があるかどうかを調べてもらう。南バスターミナルから出るバスに若干の空席はあったが、いつもなら電話予約を売れつけてくれるものの、イースター休暇で混雑するためか、この時期だけはできないとのことなので、一路メトロで南バスターミナルへと急ぐ。幸いにもDAIBUSに空席が残っていたため、購入する。現金のみの扱い。またバスターミナル内にはEUROLINESの国際線バスの時刻表も出ており、モロッコの各都市への直行便もある。

荷物を預けて街へと戻る。とはいっても、取り立てて行きたいと思うところない。とりあえずマヨールプラザ辺りをぶらつき、エル・コルテ・エングレス El Corte Inglesで食料品を買い込む。その後スペインとしてはちょっと早い目の食事を済ませ、再び南バスターミナルへ。いよいよアルヘシラスへ向かって出発である。


   
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