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一番上から3つめまでの温泉・銭湯・チムジルバン(韓国式サウナ・岩盤浴)がこのブログの主な記事です。ぜひ一度ご覧ください。

また日本人にとってはあまりなじみのないキューバイランモロッコの旅行記もお薦めです。こちらもご覧ください。

1999年04月29日



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イラン旅行記・1999年4月・イラン出国 バザルガン・ドゥバヤジット・イスタンブール

イラン時間の1時半ごろ、つまりトルコ時間の3時ごろに国境に到着。出国手続きはスムーズに終わり、中立地帯の部屋に入る。ところがいつまでたってもトルコ側の入管が開く様子がない。ちなみにこの部屋にはいすも、そしてトイレさえもない。もちろんイラン側へ戻ることも許されない。ここで用を足したくなったらどうすればいいというのだ。

そのうちにあたりが白み始めて夜明けがやってくる。一睡もせずにこの部屋の中で過ごしていたのである。トルコ時間の5時ごろになってようやくトルコ側の入管が開く。でも手続きは遅々として進まない。荷物検査も特にされることなくトルコへ入国する。バスへ戻り、ふたたびイスタンブールへと歩を進める。

朝食のためにロカンタへ入る。イランとは比べものにならないくらいメニューがそろっている。イランでの食べ物の恨みを晴らすかのようにいろいろと食べまくる。本当に隣国だというのに、食事の面ではイランとトルコは天と地の差がある。このあとも昼食・夕食とありとあらゆるものを食べまくる。

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1999年04月28日



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イラン旅行記・1999年4月・宮殿へ テヘラン

列車がテヘランの駅に着く。同室の彼らと別れ、先述の東京に住んでいた夫婦と一緒に市内へ向かう。彼らにこれからイスタンブール行きのバスに乗りたいというと、先日ケルマンからマシュハドまで乗ったセイロ・サファルのバスターミナルへ行くことを薦められる。やはりこの会社のバスのほうが乗り心地がいいらしい。

家に帰るという彼らと別れ、バスターミナルへ向かう。ガイドブックを片手に北のほうへ向かって歩くが、果たして本当に正しい方向へ向かっているのかどうか不安になってくる。行き交う人たちに尋ねてみても要領を得ない。そうこうしているうちに日本大使館の前にたどり着く。

たまたまそこで日本人男性とそのドライバーらしきイラン人男性に出会う。なんでもその男性は最近テヘラン駐在になった男性らしく、事情を話すとバスターミナルまで彼らの車で連れていってくれることになる。いっしょのイラン人男性がイスタンブール行きバスの時間を調べてくれる。出発までまだ時間があったのでどこかいいところはないかと聞くと、かつてパフラヴィー王家の夏の離宮であったサアダバード宮殿へ行くことを薦められる。

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1999年04月27日



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イラン旅行記・1999年4月・夜行列車にて マシュハド

夜行列車の指定券を購入するためにふたたび駅へと向かう。今回はなんとか購入することができる。一等寝台でもたった300円ほどの安さである。駅を歩いていると、突然通りがかった男から指を指されて「チニ(中国人)?」と言われる。初対面の人間にいきなりこういう呼びかけをするとはどういう神経をしているのであろうか。言葉がわからないのならわからないなりに、それなりの接し方もあろうとあろうというのに。この国の人間にはこういうやつが多すぎる。

あてもなく時間をつぶすために町を歩き回る。いざホテルを離れようとするとスタッフがチップをよこせと要求してくる。それも一人ではなくそれぞれがめいめいに要求してくるのである。荷物を持ってもらったわけでもないのにあつかましい。頑なに断り、ホテルを後にする。テヘランのホテルでもチップを要求されたが、それはちゃんと荷物を持ってもらったからであり、また気持ちのいい対応をしてくれたからこそ払ったわけであり、何もしてくれない連中に払う金はびた一文ない。

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1999年04月26日



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イラン旅行記・1999年4月・アーシュラーの日の巡礼の街 マシュハド

11時ごろになってようやくマシュハドに到着する。市内バスに乗り換えてバスを降りて目的のホテルを探し始めるが、どうにもこうにも見つからない。仕方なく客引きに連れられたホテルに泊まることにする。値段の割には設備も整っており、悪くはない。

部屋に荷物を解いてさっそく街へ出る。やはりここもアーシュラーのため、多くのイスラム教徒たちで異様なまでの盛り上がりになっている。イマーム・レザー廟(ハラム)へと向かう。こここそがマシュハドの象徴である。ふだんでも熱心な信者たちの熱気で包まれているらしいのだが、今日はアーシュラーの前のためかなおさらのようである。

敷地の中へは若い信者の集団が次々と行進で入場してきて、みんなそろって胸をたたきながらアラーに対する誓いのようなものを大声で叫び、次へと進んでいく。そしてまた次の集団が入ってきては同じことを繰り返していく。

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1999年04月25日



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イラン旅行記・1999年4月・しつこい店員 ケルマン

一週間いっしょだったK君とも別れ、彼はパキスタンへ、私はマシュハドへと向かう。とりあえずいったんケルマンまで戻ることにする。

この街の中心には1km以上にわたってバザールが続いており、小さい街ながら活気に満ちている。とりあえずその中にある有名なチャイハネ・ヴァキルに入る。昼食も食べられるとのことだったのでさっそく注文しようとしたのだが、入り口にて食券を買わないとだめだといわれ、入り口へ戻る。しかし当然のことながらメニューはすべてペルシャ語にてかかれており、注文するにも一苦労である。

とりあえずアーブ・グーシュトなるスープ料理をたのむことにする。壷に入った料理が出されてきたのだが、棒も一緒に出されてきたのでどうやって使えばいいのかとまごまごしていると、その棒で中身をつぶせといった仕草をしてくる。そしてそのつぶした豆や肉の中にナンを入れて食べるらしい。これはこれまで食べてきたイラン料理とは目先が変わっており、焼いた羊に飽き飽きしたわたしにとってはほっとする料理であった。

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1999年04月24日



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イラン旅行記・1999年4月・遺跡の街へ バム

ケルマンに到着。すぐにバム行きのバスに乗り込む。バス停近くの Ali Amir Guest House に泊まることにする。部屋は清潔であるが、宿の主人は一癖も二癖もありそうに見える。別料金にて昼食も用意してくれるとのことだったので、ここで昼食を取ることに決める。街を一通り散策したあと、昼食のために宿へ戻る。

昼食は宿の主人の妹さんの家にてとるらしい。家に招かれて中に入ると、中庭にシートがひかれており、その上に食事類が用意されている。ふと儀づいたのだが、その妹さんもベールを着けていない。つまり自宅の中であるからベールを着ける必要がないのである。私がイランで見たベールを着けていない唯一の女性ということになる。ここで彼女の娘さんも見かけたのだが、彼女が「地球の歩き方・イラン編」でバムのトップページの写真に載っている人形を抱いている女の子だそうだ。

食事を終えて、いよいよアルゲ・バムへと向かう。ここにはかつて多数の人々が住んでいたのであるが、敵による数度の侵略を受けた後、住人たちはこの町を放棄することになる。その廃墟がアルゲ・バムである。廃墟といっても政府による修復工事が進んでおり、いつまで今の荒涼とした雰囲気が味わえるものなのかはわからない。非常に行きにくいところではあるが、ぜひ行っていただきたい場所である。(注:残念ながら2003年12月26日の大地震によりすべてが崩壊)

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1999年04月23日



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イラン旅行記・1999年4月・ペルセポリスへ シラーズ

今日は朝からK君とともにペルセポリスへと向かう。彼にパスポートの件を話し、まずはビザオフィスへ向かい、パスポートを受け取ったあとペルセポリスへと移動する。タクシーで移動しようとするのだが、言葉の問題で手間取っていると、その様子を見ていた子供連れの男性が助けに入ってくれる。幸いにもこの男性は英語がしゃべれるので、スムーズにことが進んだ。

おんぼろな車をすさまじいまでのスピードでタクシーは突き進み、やがてペルセポリスに到着。

率直に言って、私にとってはヤズドの沈黙の塔のほうがはるかに興味深いものであった。あまりにも期待が大きすぎると、裏切られたときの落胆も大きい。K君は何度も自分のカメラを私に渡し、写真を撮ってくれと頼んでくる。私自身は自分が入った写真は嫌いなのだが、彼はそういった点では他の日本人と共通した写真に対する好みがあるようだ。

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1999年04月22日



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イラン旅行記・1999年4月・ビザ延長の手続きを シラーズ

早朝シラーズに到着。まだ街が動き始めるまでには時間があるので、徒歩で中心街へ向かうことにする。大通り沿いの Abozar Hotel に宿を取る。裏側には大きな庭があり、チャイが自由に飲めるようになっており、雰囲気も悪くない。

荷物を解いてさっそく街へ出る。昨日までのヤズドとは違い、かなり規模の大きい街である。朝食を終えてから、ビザの延長のためビザオフィスへ向かう。一応有効期間内に出国できるとは思うのだが、まさかのために備えてのことである。さっそくオフィスに着くと、立派なひげをたくわえて流暢な英語を話す係官が丁寧に手続きについて説明してくれる。その説明にしたがい、料金の支払い・書類のコピー・手続きに必要な書類用のフォルダーをそろえてオフィスへ戻る。

さっそくパスポートを見せると、私のツーリストビザを見て「おお、ツーリストビザか。これはいいものを持っている。何日間延長したいの?」と聞かれたのだが、ほんの数日間延長してもらえれば十分なので、正直に「5日でいいです。」と答えると、また「何日間延長したいの?」 と聞かれ、また「5日でいいです。」と答える。するとふたたび 「何日間延長したいの?」 と聞かれたので、今度は「3週間です。」と答えると、係官は満足したかのように「うむ」とうなずいて手続きを進めてくれる。トランジットビザで入国して延長手続きをする旅行者が多いためか、私のようにツーリストビザを持っている旅行者に対してはいいらしい。

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1999年04月21日



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イラン旅行記・1999年4月・沈黙の塔 ヤズド

朝からK君とともに「沈黙の塔」に向かう。いったん塔の近くまでバスで向かい、そこでさっそく言葉もろくに通じないまま何とかタクシーと交渉をしてチャーターすることに決める。塔の麓に車をつけてもらい、そこで1時間ほど待機してもらう。

塔に登る途中で神奈川から来ているというGさんと出会う。サラリーマンながらもかなりまとまった休みが取れるらしく、今回もかなり長期の休みできているらしい。

「沈黙の塔」はかつてゾロアスター教徒が鳥葬の場として使っていた場所なのであるが、現在は鳥葬も禁止され、その跡が残るのみである。小高い丘の上に二つの塔が並び、一方が男性用、もう一方が女性用のものである。塔の上に登ると、目の前には広大な大地が広がり、そのはるか向こうにはヤズドの街並みが広がる。本当に何もない場所ではあるが、その荒涼感と静寂さが心の中になんともいえない落ち着きをもたらしてくれる。私にとってはイランにおけるベストポイントの一つである。

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1999年04月20日



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イラン旅行記・1999年4月・アルメニア人居住区 イスファハン・ヤズド

朝から街の南西部にあるアルメニア人居住区に向かう。非常にイスラム色の濃いイラン国内において、アルメニア正教徒たちが多数住むこの地域は非常に異色の存在である。多数の教会が立ち並び、一見して他のイラン人たちとは違うことがわかる人たちが街角を行き交う。なんともいえない静寂さが漂う一帯である。

昼食を取りそろそろ旅立とうとして宿に戻ると、イギリス人らしき老夫婦がタクシーにて宿を離れようとしている。話を聞いてみるとバスターミナルに向かうとのことだったので便乗させてもらうことに決め、大慌てで荷物をまとめて入り口までやってくる。すると今度は、おととい宿にて出会ったタイ人旅行者のK君が帰ってきて、われわれがバスターミナルに向かおうとしていることを知り、「すぐに荷物をまとめてくるので、同乗させてくれ。」と言ってくる。結局4人でバスターミナルに向かうことになる。

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1999年04月19日



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イラン旅行記・1999年4月・チャイハネめぐり イスファハン

朝からイマーム広場へと向かう。回廊部分にあるじゅうたん屋や工芸品店を見てまわる。たくさんの客引きに出会い、いくつかの店へは勧められるままに入っていく。残念ながらわたしの購買欲をそそるものは何もない。なにせ本当に物欲というものがないのである。

イマーム広場を離れ、広場の南側にあるじゅうたん屋に向かう。買う気もないのになぜじゅうたん屋なぞへ向かうのかと向かうのかと訝られる方もおられるかもしれないが、実はこのじゅうたん屋がインターネットカフェをやっており、両替もしてくれることを聞いていたのである。

さっそく店に入ると小柄な男性が出迎えてくれる。イスラム圏のお店の例に漏れず、ここでも商売に関係のないたわいもない世間話から会話が始まる。もちろんチャイ(紅茶)とともにもてなしてくれる。話を聞いていると、かなり多くの日本人旅行者がこのお店を訪れているようである。

そうこうしているうちに話が両替の話になってくる。よく話を聞いてみると、ここで両替するのではなく、他の両替をする人間に話を取り次いでくれるらしいのである。そこで彼が相手のところにレートを聞きに行ってくれる。店の中には彼と私しかいないのだが、彼は私に店をまかせたまま出ていってしまう。

初対面の人間をそこまで信用していいものかと不思議に思うのだが、イスラム圏ではよくあることである。人間同士の信頼が社会の基本となっているイスラム圏ではこれがあたりまえらしい。とてもキリスト教の国では考えられない。いかにイスラム圏の国が治安がいいかのよい証拠であろう。

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1999年04月18日



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イラン旅行記・1999年4月・両替交渉 テヘラン・イスファハン

ホテルのレストランにてイラン式朝食をとる。先述のとおり、宿泊料金の中にビュッフェスタイルでの朝食の料金が含まれているのである。イラン式のパンに加え、チーズやサラダ・目玉焼き・果物などがいろいろと並んでおり、飲み物のほうもコーヒーやチャイ(紅茶)・ジュースなどと種類が豊富である。この朝食には大いに満足できた。しかし、これがこのイラン旅行中で最高の食事になろうとは・・・・・・。

イスファハン行きのバスに乗るため、南バスターミナルへ向かう。その前に闇両替ができればと思い、ある両替屋に話しかけると、彼の店へ連れて行かれる。洋服屋が彼の本業らしい。US$1=80000Rlsでどうかと話を持ちかけると、「馬鹿なことを言うな。75000Rlsだ。」といわれる。

彼によると、前日にイランとアメリカ政府による接触が持たれ、関係改善の見込みができたらしく、そのためにリアル相場が上がったと言うのである。残念ながら事実が確認できないので、両替をせずに済ますことにする。両替の交渉自体は激しかったが、バスターミナルまでの行き方などは丁寧に教えてくれ、バスに乗る際の注意などもしてくれる。

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1999年04月17日



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イラン旅行記・1999年4月・テヘラン到着 テヘラン

バスはひたすらテヘランへ向かって走りつづける。彼がきゅうりの皮をむいて手渡してくれる。こちらではきゅうりをおやつとしても食べるらしい。実際日本のものと違ってみずみずしく、まるで果物のようである。 

お昼近くになってようやくイランの西バスターミナルに到着。彼からイラン国内からイスタンブールへの航空券は高いこと(だから彼もバスでイスタンブールまで往復したらしい)、このバスターミナルからイスタンブール行きのバスは毎日出ているということ、その他のイラン国内での注意事項などを聞く。さらに困ったときのためにと、テヘランにいる彼の妹さんの連絡先も教えてもらう。

彼の勧めでタクシーにて市内へ入ることにする。彼に別れを告げてタクシーに乗り込む。どうやらこのドライバーも日本で働いていたらしい。しかし先ほどの彼と違って、片言の日本語しかしゃべれない。とにかく安宿の集まるイマームホメイニ広場まで行ってくれとたのむことにする。

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1999年04月16日



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イラン旅行記・1999年4月・イラン入国 ドゥバヤジット・バザルガン・テヘラン

イスタンブールからの夜行バスにて国境の街・ドゥーバヤジットに到着。まだかなり肌寒い。国境からドルムシュ(小型バス)に乗り、国境に向かう。車内にて闇両替を持ちかけられるが、前もって聞いていたレートに比べよくないので、両替しないことに決める。

国境に到着。トルコ側の出国審査窓口はいつも開いているわけではなく、時々しか開かず、手続きは遅々として進まない。ようやく自分の名前が呼ばれてパスポートを返される。

ここで一人のイラン人らしき人物から「Are you Japanese?」とたずねられたので、「Yes.」と答えると、彼はいきなり日本語に切り替えて話し始める。なんでも日本に住んでもう10年以上、現在は神奈川県にて車の板金工場などを経営しているらしい。今回はイランのお祭りの時期に合わせて帰国し、日本人の奥さんは先に日本へ帰した後、自分だけイランからトルコへ往復してきたそうである。神奈川の町田市にてイラン料理店を開くため、イランでドネル・ケバブの調理器を探したものの、高かったためトルコまで探しに行っていたらしい。

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